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その日の想いを徒然なるままに。
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マフラー編みが予定通りに進んでない…
やっと折り返し地点…辺りなので、スパート上げないと間に合わないかも
そろそろ年賀状作成もせなアカンし…。

平日は帰宅後に晩御飯作り、弁当の準備、風呂、洗濯…。
大抵それだけで夜が更けていってしまいます。
唯一ゆっくり出来る時間って、TVを観る事くらい。
だから、マフラーを編む時間は必然的に土日になってたんだけど、
彼が泊まりに来た時は編めないし…。

去年マフラーを編んだ時は、目の拾い間違いをすることが多く、
その度に最初からやり直し…ってことがかなりあったので、
なるべく集中してやらないとアカンかったけど。

今では慣れてきたのか、TVを観ながらでも編めるようになってたことに
昨日初めて気付いたので、平日のTVを観る時間を利用して編もうかと。


彼がうちんとこに泊まりに来るのは月に1・2回くらいなんですが、
泊まりに来た次の日は、昼の12時か1時くらいまでずっと寝続けてます。
次の日に予定があるからこの時間に起こしてと言われれば、
その時はちゃんと起こすんですが、何も言われなければ、
彼が自主的に起きてくるまで放置…。

うちは何時に寝てもきっかり八時間で起きてしまうので、
とことん寝ていられる彼が羨ましいというか。ムカつくというか(笑)

「平日は睡眠時間が少ないから、土日に寝溜めしてるの。」
と、彼はそう言います。

…冬眠ですか(爆)

だから先週彼が寝ている間にマフラーを編んでいたのですが、
なにしろ部屋がひとつしかないので、
寝ている横でマフラーを編むのって、かなりスリル感がありますよ(笑)

もう二度とやらないだろうけど…。
多分気付いているかも知れないけど(爆)

あと一ヶ月…。
頑張るかー。
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なまらしばれるッ!!○(≧▽≦)○
(とても寒いの意、北海道の方言)

この寒い時期には、何故かスカートがはきたくなるのです。
何系…とかそういうこだわりはなくて、その時に欲しい!と思ったものを、
直感的に買って身に付けています。

今日は上がロック系、下がロリータ系。黒ベースの。
そしてワイン色のパンプスを。
髪型を三つ編みにして、さらにお団子にしちゃったりして。
(文字にするとえらい組み合わせに見える…汗)

そんなファッションで出勤しましたよ?



…歳を考えろ、ってことですか…orz
可愛いと言われたんだけど…26歳がするファッションではない、と…。


話はさらっと変わるけれど、
前日ラルク・アン・シェルのtetsuが結婚するって、ニュースになったことで、
高校時代の友人から「めっちゃショック~~!!!(号泣)」と、
泣き言のメールが延々と続きました。

その子は高校時代、ラルク・アン・シェルのファンで、特にtetsuのファンで。
それで、友人にこんな絵を描いてあげてました(笑)
071122.jpg
友人からの泣き言のメールの相手をしている間に、
『昔こんな絵を描いたことがあったっけ…』と、
高校時代の絵を引っ張り出してみました。
めっちゃ懐かし過ぎる(笑)


泣き言を二時間くらい聞いてあげたところで、落ち着いたのか、
「いいもん。キリト(元pierrot・現Angelo)が居るし!!」
…はい、さいですか(笑)

うちはSOPHIAの黒ちゃんが好きだったんですよ、当時(笑)

久し振りに懐かしいことを思い出してしまった、そんな1日の終わり。

中学2・3年と二年間しか在籍していなかったが、
かつて通っていた大分のろう学校で100周年記念祭典が開かれる…
との、お知らせが届いた。

100年…その歴史はあまりにも長すぎて、あまりピンと来ないが…。
同じ会社にそこのろう学校出身だという先輩が居て、
その人が話すろう学校時代と、うちの覚えているろう学校時代とは
あまりにも違い過ぎて、そこが歴史なのか、と思わされた。

先輩が在籍していた時は、一クラス10人、一学年二クラス、
それが普通だったという。
うちがそのろう学校に在籍していた時は、同級生が一人だけだった。

何故、こんなに少なくなってしまったんだろう。
ある所では、小学1年~6年全生徒合わせて10人に満たない、
というろう学校もあるという。

ろう児が少なくなった…とは思えないような気がする、
普通学校に入るろう児が増えた、と思う方が納得できるような気がする。

2年前くらいに北海道の母校でも100周年記念祭典が行われたが、
(うちは残念ながら参加できなかったが…)
そこに参加してきた友人の話によると、現在のろう生徒があまりにも少な過ぎて、
“ろう学校”という名称が消え、ゆくゆくは盲ろう学校になる…とのこと。

その話を聞いた時は、どうしようもない寂しさに駆られた。
“ろう学校”という名前は、そこで生活してきたろう児にとって、
ブランドのようなもの…身体の一部…のようなものだったから。

現在住んでいる宮崎も、ろう学校が2つくらいあるが、
いつか合併してひとつのろう学校になるかもしれないとの噂。
あるいは養護学校とひとつになるかも…との噂もあるくらい。

100周年という長い歴史を迎える裏側で、
これからのろう学校はどうあるべきかという、歴史の転換期を迎えている。

“ろう児にも教育を与える場を”という想いから生まれたのがろう学校。
それが、現在ではどうだろう。
ろう学校に求める環境や、教育方針が変わってきたのではなかろうか。
そして、ろう児に求める親たちの願いも…。

歴史の転換期を迎える現在。
何が出来るのだろうか。
これからのろう学校はどうなるのかを、ゆっくり見守ることしか出来ないのか。


…かなり複雑な気持ちです。


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