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その日の想いを徒然なるままに。
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うちよりも母の状態がとても気がかりな奏です、今晩は。

この世に生を受けて26年だけど、実際に父と共に過ごしたのは18年間くらい…。
その2倍くらい、母は父と一緒の時間を過ごしてきたわけですから。
去年結婚して30年目を迎えて、何処かへ旅行しようと計画していたみたいです。

去年父が60歳という還暦を迎えて、何かプレゼントしたいなと思ってて。
なんだったら、結婚30周年記念にどこか旅行するんなら、
旅行券をプレゼントするよって、そう言ったことを覚えています。

「アンタにそんなお金あるの?」と、笑い飛ばされましたが。

父の誕生日は8月なんですが、その頃は抗がん剤との闘いの日々だったそうです。
母からはただ、「今入院している。」とメールがあるだけで、
父がどんな状態にあるのかも、全くといっていいほど知らなかったのです。

6月の手術後に入退院を繰り返しているということは、
『手術後の経過があんまり良くなかったんだな…。』
といった漠然とした不安があるだけで、
『そのうち、きっと良くなる。』といった楽観的な考えがあったんです。

それが、12月の帰省で「余命2ヶ月。」と言われた時は、
言葉で言い表せないくらいの衝撃を受けました。
病院で1年振りに見る父は、1月と比べたらずい分やせ細っていたし、
もう食事も出来ない状態、立ち歩けない状態でした。

『何で…。』と、言いたい気持ちを必死に堪える私の心を察したのか、
父がこう言ったのです。

「奏に余計な心配をかけたくなかったから、
詳しいことは話さなくていいと、母に頼んだんだよ。」

「奏の気持ちはよく解る。自分の娘だから。」

…と。
そう手話で語る父の姿は、『本当に末期患者?』と思えるくらいでした。

それは、最期の時まで。
意識を保ち続けたのです。

* * * * * * * * * *

1 いつくしみ深き 友なるイエスは
  罪とがうれいを とり去りたもう
  こころの嘆きを 包まず述べて
  などかは下さぬ 負える重荷を

2 いつくしみ深き 友なるイエスは
  われらの弱きを 知りてあわれむ
  悩み悲しみに 沈めるときも
  祈りにこたえて 慰めたまわん

3 いつくしみ深き 友なるイエスは
  変わらぬ愛もて 導きたもう
  世の友われらを 棄て去るときも
  祈りにこたえて 労りたまわん

賛美歌『いつくしみ深き』

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昨日久し振りにPCを開いて、メールチェックしていたら…。
300通くらいの新着メールが来ていて、軽くビビる(((°д°;)))
その中で、本当に必要なメールは僅か10通くらいだったんだけど…(汗)
スパムメールを何とかしたいと思うこの頃。

* * * * * * * * * *

思い起こせば、父の元気な姿を最後に見たのは、去年の1月。
なんとなく北海道のおばぁさんの顔が見たくなって。
北海道に行こうと提案した所、両親も凄く喜びながら賛成してくれて。
本当に久し振りの家族旅行でした。

ここでの一番の思い出は、旭山動物園。
アザラシが丸い筒の中を上がったり下がったりする所、
そしてペンギンの散歩タイムでは、父が張り切って撮影していました。
ベストショットが撮れたりすると、誇らしげな顔で見せてくれます。
「これ、いいじゃん。」と言うと、それはもう嬉しそうな顔で。

今思うと。
小さい時から家族旅行が多かったんですが、その度に。
父が撮影に張り切っていたように思うのです。
思い出を残しておくのが好きな人だったんでしょうか。
現像した写真を眺めながら、思い出を語り合えるのが楽しいからでしょうか。

札幌の『T38(タワー・スリーエイト)』に行った時には、
母とのツーショットをせがまれ、しぶしぶ撮影(笑)
父は本当に母を愛しているんだなぁ…と感じたひと時でした。

これが、最後に見た父の元気な姿でした。

あれからたった1年。
長い人生から振り返ると、1年という歳月は短く見えるものだけれど、
1年という長い時間をかけて、病魔が父の身体を蝕んでいったのかと思うと。

どんなに他愛ないことでも。
どんなに平凡な毎日の繰り返しであっても。
1日1日という時間を大切にしながら過ごしていかなければなと、
父の姿を見ながら、そう思ったのです。

* * * * * * * * * *

1 血しおしたたる 主のみかしら、
  とげにさされし 主のみかしら、
  なやみとはじに やつれし主を、
  われはかしこみ きみとあおぐ。

2 主のくるしみは わがためなり、
  われは死ぬべき つみびとなり、
  かかるわが身に かわりましし
  主のみこころは いとかしこし。

3 なつかしき主よ はかり知れぬ
  十字架の愛に いかに応えん
  この身とたまを としこえまで
  わが主のものと なさせたまえ。

4 主よ主のもとに かえる日まで、
  十字架のかげに 立たせたまえ。
  み顔をあおぎ み手によらば、
  いまわのいきも 安けくあらん。

賛美歌『血しおしたたる』

秋田から帰ってきました。
こうやってブログを書くのもすっごい久し振りな感じです。
12日に帰省してからの10日間は、自分にとって濃密な毎日だったかと。

こんなに涙を流したのはいつの日以来だっただろうかと思えるくらいに。

去年帰省した時に、余命を告げられ大きくショックを受けました。
でも、その時は月単位だったから…。
その時が来るまで、しっかりと心の準備をしておこう、と思ったんですが。

医者も人間。
人間が人間の命を知ることなんて不可能なんですね。

あまりにも突然でした。

1月16日午前2時に、父が息を引き取りました。
享年60歳。

父の言葉で言うならば、『天に召された』と言うべきなんでしょうか。

最期まで父らしく、そして父らしいと思える最期だったと思うのです。

父と交わしたひとつひとつの言葉が、
こんなにも胸深くに突き刺さってきます。

だからこそ、悲しくなるのです。
いつかはこの悲しみも薄れてゆくのでしょう。

その時に感じた想いを。
けっして忘れることのないように。

ここに書き留めて置きたいと思うのです。


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